彫刻刀で削る前に

OS

■小学校の頃、彫刻刀使って

木を削った経験がある方は

多いかと思います。

 

当時のことはほとんど

覚えていませんが、

振り返ってみると、

 

いきなり掘り始める子や

じっくりと戦略を

立ててから掘り始める子、

なんとなくその場の気分で

削っていく子など、

 

色々な削り方があったのでは

ないかと考えています。

 

何が正解かということはないと

思いますが、

事実として挙げられるのは、

一度、彫刻刀を削って

使って木を削ってしまえば

次からはその削られた状態で

次に削る場所を

決めなければいけないということ。

 

すなわち、一度削った木は

元に戻らないということです。

 

■であるとするならば、

最終的に完成度が高いものを

作る必要があるならば、

どういったものを作るのかという点を

最初にしっかりと意識して

おかなければいけないと言えるでしょう。

 

お寺などに行くと、非常に精巧に掘られた

彫刻物があるかと思いますが、

これらの彫刻物というのは

思いつきで削り始めてできたもので

あるはずがありません。

 

しっかりと最終的な完成の形を

イメージした上で、

そこに向けて掘り続けていったのです。

 

■ですが、最終的な完成物を見越した上で

日々木を削っていくというのは

ある意味退屈なことと言えるかもしれません。

 

なぜなら、それは今の気分などによって

彫りたいものを掘っているのではなく、

あくまでも最終的な完成物に基づいて、

一つ一つの削り込みを

行っていかなければいけないからです。

 

つまり、毎日その時の気分に応じて

好きなように削っていけ言った方が

その日は楽しいと言えるかもしれない

ということです。

 

ただし、最終的な完成物が

どうなるのかというと、

目的を見据えた彫刻物の方が

良いものができているというのは

当たり前といえるでしょう。

 

■この時、日々の一つ一つの彫刻の

積み上げによって得られた喜びと

最終的に目的が達成することができた時の

喜びを比較した場合、

どちらの方がより大きな喜びを

感じることができるでしょうか。

 

勿論、その判断の軸というのは一人一人

異なるかと思いますが、

直感的には最終的に良い彫刻物を作った方が

高い満足度を得ることができる

ということについては

同意していただけるのではないかと思います。

 

■つまるところ、何が言いたいのかというと、

私たちは日々の行動というのを

その時の気分によって決めてしまいがちですが、

その前に最終的な目的を意識して

行動をしても良いのではないかというものです。

 

そして、それは日々の行動に対して

修行僧のように負荷をかける

ということが目的ではなく、

最終的に、より大きな喜びを

得るということを目的としているのです。

 

だからこそ、私たちは、

まず最終的なゴールを見据えること、

そしてその上で日々のアクションを

定めていくということが重要と

いえるのではないでしょうか。

 

+++

今日のまとめ

 

・日々の楽しみを追及するか、

先の楽しみを追及するかは

個人の判断によるが、

先の楽しみの方が

喜びは大きくなることが多い。

 

・であるとするならば、

大きな喜びを感じることが

できるように、

日々の行動を重ねていくことが

重要と言えるのではないだろうか。

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